相場歴25年以上・投資教育歴15年以上・累計受講者7,000名超
合資会社オルゴン・実践投資研究所 代表
信じ切っていた私が、
老師のそばで初めて気づいた 相場の正体
しばらく経った頃のことです。久しぶりに近況を伝えようと思って連絡を入れたとき、初めて知りました。もう、老師はこの世にいませんでした。
恩返しが、間に合いませんでした。あれだけ人生を変えてもらったのに、返すべきものを返し切る前に、いなくなってしまった。この悔いは、今も胸の奥に残っています。たぶん、消えません。一生、消えないのだと思います。
だからでしょうね。受け取ったものを、ここで止めるわけにはいかない。自分の代で終わらせたら駄目だ。その気持ちだけは、今日までずっと残り続けています。
全部外れました
正直に話します。私はかつて、相場で本当にひどい負け方をしました。「負けた」という一言では、少し軽いくらいです。一回や二回の失敗ではありません。自分なりに考えて、自分なりに本気でやって、そのたびに外し続けた。やることなすこと、ことごとく噛み合わない。そんな時期がありました。
当時の私は、本気で信じていました。勝っている人がいるのだから、その方法を知れば自分も勝てるはずだ、と。情報が足りないのだろう。手法が足りないのだろう。もっと良いものを知れば変われるはずだ。そう思っていました。だから、探しました。かなり必死に探しました。
30万円のソフトが届いて、立ち上げて、愕然としました。いまでは無料で見られる当たり前のものが、30万円の箱に入っていた。本当に、その程度のものでした。笑えない話ですが、これが昔の私です。
情報さえあれば、方法さえ知れば、自分も勝てるはずだ。 そう信じ切っていたのです。
それだけやって、資金は底をつきました。精神的にも、かなりきつかったです。いや、かなりどころではなかったですね。当時、母は車椅子の生活を送っていました。そんな中で私は、本気で考えたことがあります。母の年金を頼れないか、と。綺麗ごとではありません。実際に考えました。
もう手の打ちようがない、という感覚を持ったとき、人間はおかしな方向へ向かうものです。私は毎日、神社に通うようになりました。100円を握りしめて、ただ手を合わせる。他に思いつくことが、もう何もなかったのです。
そんな私を見かねた友人が、動いてくれました。つてを辿って、ある人物に引き合わせてくれたのです。後から「相場の神様みたいな人だ」と言われていたようですが、そのときの私はそんなことも知りませんでした。ただ、普通の人ではないことだけは、すぐにわかりました。
教わった、という感覚はありません。そばにいさせてもらった、の方が近いです。その人は手書きのチャートを山のように持っていました。仙人みたいな人でした。特別な指標を振り回すわけでもない。最新情報を追いかけるわけでもない。材料を集めて得意げに語るわけでもない。ただ、チャートを見る。じっと見る。線を引く。また見る。その繰り返しでした。
私はその横で、ただ見ていました。最初は、何を見ているのかまったくわかりませんでした。でも、来る日も来る日もその姿を見ているうちに、少しずつわかってきたことがある。
この人は、当てにいっていない。
私はずっと、上がるか下がるかを当てようとしていました。理由を探し、材料を探し、説明を探し、納得できる根拠を探して勝とうとしていた。でも、老師は違った。そんなものを見ていなかった。需給の事実を見ていたのです。値動きの裏側で、誰が苦しくて、誰が逃げ遅れて、どこで流れが偏っているのか。そういうものを、静かに見ていた。
ああ、そういうことだったのか、と思いました。救われた、というより、目が覚めた、の方が近いです。自分はずっと、間違った地図を握りしめて歩いていた。ようやく、そのことに気づいたのです。
人は変われません
ただ、ここが大事なのですが、気づいたからといって、すぐには変われませんでした。これが現実です。知ることと、できることは別です。頭ではわかる。でも、実際の場面になると体が止まる。怖くなって切れない。待てない。余計なことをする。型を崩す。
本を読めば知識は増えます。動画を見れば、わかった気にもなれる。頭の中だけなら、だいぶ整理されたようにも感じる。でも、実際の売買の場面になると、別人みたいになる。「知っているのに、できない」 ここで詰まるのです。昔の私は、まさにそこにいました。
それで変われるなら、昔の私はあそこまで壊れていない。
本も読んだ。セミナーも行った。高いソフトにも金を出した。それでも駄目だった。なぜか。行動が変わっていなかったからです。だから今の私は、身につくところまで一緒にやることに意味があると思っています。知識ではなく、判断の骨格。理解ではなく、実際に崩れないための土台。そこまで行かないと、人は本当には変わらない。私はそう思っています。
なぜ教えているのか
たまに聞かれます。相場で勝っているなら、なぜお金を取って教えるのか、と。答えはひとつです。昔の自分と同じところで、まだ苦しんでいる人がいるからです。やれることはやった。勉強もした。金も使った。真面目にやってきた。でも勝てない。なのに、諦め切れない。その感じが、私は痛いほどわかる。
しかも、そういう人たちの多くは、能力がないわけではありません。むしろ真面目で、しつこくて、何とかしたいと思っている人たちです。ただ、握っている地図が違う。見ている場所が違う。努力の向け先がズレている。だから私は教えています。
そして、もうひとつあります。老師から受け取った灯を、自分の代で絶やしたくない。これです。恩返しは間に合いませんでした。それは、どうやっても消えません。だったらせめて、受け取ったものを次へ渡す。それが、今の私にできる返し方だと思っています。
老師は、多くを語る人ではありませんでした。でも、黙ってチャートを見ていたあの背中が、私の相場観を変えました。言葉で説明し切れないものが、確かにある。 そして本物は、案外そういう形でしか渡らないのだと思います。
力までは遺せません
子にお金を遺そうとすると、相続税がかかります。一生懸命積み上げたものが、かなりの部分で持っていかれる。せっかく積み上げても、そのままの形では渡せません。
けれど、相場でお金を引っ張ってくる力はどうか。売買の型はどうか。判断の軸はどうか。これは、渡せます。しかも、削られない。無税です。
知識を渡すのではなく、判断の骨格を渡す。
一時の儲け話ではなく、崩れにくい相場観を渡す。
これこそが、本当の意味での技術の継承です。
実際、受講者の中には、そういう流れが少しずつ出てきています。自分だけで終わらせず、家族に話す人がいる。配偶者と一緒にチャートを見るようになった人がいる。子どもに、考え方だけでも渡したいと言う人がいる。それでいいのだと思います。一人が力をつければ、その人ひとりの問題で終わらない。家計の不安の形が少し変わる。次の世代の選択肢も変わる。
老師から受け取ったものが、今、少しずつ次の人間へ渡り始めています。そんなふうにして渡っていくものがある。私はそこに、金額以上の意味を感じています。
私が渡したいのは、ノウハウではありません。需給を見る目。感情に流されない判断の軸。相場に向き合うための、崩れない土台です。これは、本を読んで身につくものでも、情報を集めて手に入るものでもありません。
独学で長く苦しんできた人ほど、そのことを肌で知っているはずです。知識は増える。でも、相場での判断は変わらない。その壁を越えるには、土台から整えるしか方法がない。そう気づくまでに、私は相当な時間と金を使いました。
だから今、判断の土台から丁寧に整えていく3ヵ月プログラムを用意しています。老師から受け取ったものを、次へ渡すための場です。まずは案内ページで中身を確認してみてください。
プログラムの詳細を見る →勝てない理由は、努力不足ではありません。見ている場所が違うだけです。